2014年6月27日金曜日

鎧の渡し小網町

どうもえどむらです。

今日の東京は大雨の予報でしたっけ・・・?
よりによって大降りの時に出かけてしまい、
全身に水を滴らせることになり。
もともと良い女なのが更に良い女になってしまいました。




今日は、

名所江戸百景 『鎧の渡し小網町』



場所は日本橋から東南東。

左手は小網町の鎧河岸。
水運の便が良く、荷物を納める蔵が一面に建ち並んでいます。


日傘をさす女性がいる対岸は茅場町。
現在、東京証券取引所があるあたり。

以前はここを渡し船が結んでいたんですね。





お客さんのほとんどが日傘をさしたり笠をかぶっています。
相当日差しが強いよう。




 猪牙船の向こうには




積んでいるのはお茶だという説と
日本酒「正宗」だという説があるそうで。


私は正宗の様な気がしますが・・・・


こんなに大きく「茶」とは書きませんよね、たぶん。




お姉さんの着物の柄も素敵ですね。




同じ地点で土砂降りのなか撮った写真がこちら。
雨傘バージョン。




明治5年に鎧橋がかけられ、渡し船が姿を消しました。



鎧河岸には、白い蔵こそありませんが
白いビルが建っていました。








で、近くに「兜神社」がございましたのでお参りしてきました。
鎧とは反対側に兜があるんですね。







御祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。
加えて大黒様と恵比寿様も合祀されている。





弘化2年(1845)に描かれた地図に
鎧稲荷(平将門公を祀ったのが起源とも) と兜塚が描かれているのが最も古い資料のようで、
のちに合併して兜神社になったそうです。





社殿の左手にある兜岩。

この岩には数々の伝説があり、
その中には藤原秀郷が平将門を打った際、
首を兜に添えてここまで運び、兜を個々に埋めて塚を築いた、
というのもあるそうです。



2014年6月26日木曜日

日本橋江戸ばし

今日は休載の予定でしたが
何故か更新しております。

さて今日の一枚はこちら。

名所江戸百景『日本橋江戸ばし』



日本橋から東の方角を眺めたもの。






奥に見えるのが江戸橋で、
右手には、木更津河岸の船着き場の様子が描かれています。



ん?何で木更津?
と思って調べてみたら、

鎌倉河岸と似たような物で、
江戸時代、木更津から来た船頭に独占的な輸送権を与えれた場所、なんだそうです。




木更津河岸の対岸は、魚河岸がありました。
そこで仕入れて来たであろうカツオが
天秤棒で吊り下げた、たらいの中に入っています。
なにやらこれは初鰹のようです。




という事は、これは夜明けと判断できます。
夕方だったら腐ってますもんね。





はい、というわけで
やって来ました日本橋。



コレドが出来たおかげか
ご夫人方で賑っております。




江戸百景とほぼ同じ構図で撮ったのがこちら。






一応、遠くに江戸橋も見えます。





木更津河岸に船着き場を発見。



なるほど、ここから日本橋クルーズ船が出航しているようです。
 




今は魚河岸はありませんが、
 

 



















続いているお店が当時を思い起こさせます。

2014年6月25日水曜日

八ツ見のはし

連々日こんにちは、えどむらです。

なんだか日課になってきたので今日も近辺の江戸百景をご紹介します。

ただ三日坊主なので明日は更新されないと思います(笑)





名所江戸百景『八ツ見のはし』
日銀のすぐそばにある一石橋から富士山を眺めた図です。




今年から、入山料を払えば特製の缶バッジがもらえるそうですよ。




画面右手、
方角的にはこの辺が江戸城のようですが、見えますかね?




画面左手に見えるのは、一石橋の欄干。
材木らしきものを積んだ船も見えます。




画面中央には銭瓶橋が描かれています。
その奥にも小さく道三橋が見えます。
一石橋の上からは、上記の橋に加え、
常磐橋、日本橋、江戸橋、呉服橋、鍛冶橋が見えたそうで、
それに一石橋自体を加えて8つの橋が見える事から
「八ツ見の橋」と呼ばれたそうです。

いやしかし、水が綺麗ですね。




燕が飛びまわり、




  

 



四つ手網を操って漁をしている舟が二艘もあります。
こんなところでも魚がとれたんですね。





現在も存在する一石橋に行って写真を撮りましたが、





 
こんな感じですかね。
柳も、燕どころか雀もおらず風情が出ませんでした。



浮世絵中央に描かれていた銭瓶橋は、
その下を流れる道三堀自体が埋め立てられてしまったので
当然のことながらなくなっています。




一石橋から見えた常磐橋。
現在は二ツ見はしになっていました。




しかしやはり一番気になったのは緑色の川の水。






おいしい魚はとれなさそうですね。

2014年6月24日火曜日

昌平橋聖堂神田川

連日こんにちは、えどむらです。

今日は雨ですね。 乾燥肌には嬉しいです。


昨日、昌平橋南側一帯を描いた江戸百景、筋違内八ツ小路をご紹介いたしましたが、
昌平橋から湯島聖堂を眺めた『昌平橋聖堂神田川』という一枚もご近所なので
せっかくですからご紹介します。




雨降ってますね。

画面右下にちょこっと見えているのが昌平橋です。
右上の塀の向こうは湯島聖堂。

ここに描かれる神田川は台地を切り崩して作った人工のもの。
江戸時代初期に江戸城をぐるっと囲むようにお堀が作られたわけですが
その時期は今みたいに土木建築業が儲かったんでしょうか。



昌平河岸の荷揚げ場。
ここで木材や石材が荷揚げされたのでしょう。



材木を運んでいるんでしょうか。
雨の中ご苦労さまです。





浮世絵とほぼ同じ地点から撮った写真がこちら。
画面中央奥に見えるのが



東京医科歯科大ですね。  
この場所は以前、湯島聖堂の学問所があった場所ですから
方向はあっているようです。



橋を渡って、東京医科歯科大に向かうと、




お!
  

練塀がありました。





 

湯島聖堂は1923年の関東大震災でほとんど焼けてしまっているそうなので
この練塀もその後建てられたものなのかな?


でも今でも見られるとちょっと嬉しいですよね。

2014年6月23日月曜日

筋違内八ツ小路

どうもえどむらです。

ちょっと秋葉原方面に用事があったので、
名所江戸百景『筋違内八ツ小路』の場所に行って写真を撮って参りました。

でもまず浮世絵の方からご説明しましょう。




人が蟻のようですね。


ここは今で言うと万世橋と昌平橋の南側の一帯で、
当時は「筋違御門」があり、
(この浮世絵には描かれていません!もうちょっと右側にあったらしいです)
その周辺が広場になっていて、火除け地になっていたそうです。
広重が誇張して描いた訳ではなく、本当に結構広かったらしいですよ。

「八ツ小路」という名の由来は、
この広場から日本橋、駿河台、昌平橋等々、8方向に道が分かれていたためだそう。




画面中央に描かれている番所。
その後ろに昌平橋に繋がる木戸があります。
橋自体は残念ながら見えません・・・



画面左手には、天野なんとか衛門さんという旗本の武家屋敷。




画面右上、この高台に建っているのが神田明神です。
鎮守の森、って感じがまだあった頃。



お茶屋さんのそばで人々が見る先には、



大名の奥方様が乗った駕籠が。
乗るのもバランスをとるのが難しいらしいですね。



蟻に見えた道行く人々も、
よく見ると立派な職業人であることがわかります。




さて、この景色が今どうなっているかというと


この辺りのはずなんですが・・・



昌平橋付近。
跡かたもありませんね。


浮世絵自体が鳥瞰なので、
どこか登らせてもらえそうな建物を探したのですが、
どこの馬の骨ともわからない人間を入れてくれる所はこのご時世そうそうないようで、
結局公的機関のビルの2階から、ご迷惑にならない程度に撮った写真がこちら。



当然神田明神なんて全く見えません。
昔はこのくらいの高さだったら見えてたんでしょうか。





その足で神田明神を訪れたら
大祓の茅の輪が。

最近背中に妖怪が憑いている感じがするのですが
ウォッチを持っていないので
取敢えず八の字に3回くぐって来ました。

参拝をし損ねたのですが、
くぐっただけで良かったんでしょうか。