2009年12月24日木曜日

おせん日記


もう12月も半ば、今年もあと少しで終わってしまいますね。
今年は「神田の家」のオープンがあり、色々なことが初体験。とても勉強になった一年でした。

 暖冬のためか神田の家では今の時期になって、やっともみじとイチョウが色づいてきました。



そういえば、もみじもイチョウも気温が下がると色が変わるのですが、

   もみじは赤色になるので  → 紅葉
   イチョウは黄色になるので → 黄葉
    …と書いて、どちらも“こうよう”と読むらしいです。

 おせんは神田の家に奉公に上がって、またひとつかしこくなりました。おほほ。


今日は寒いながら天気は良く、空気も澄んでいましたので青空にイチョウの黄色が冴えわたり、とても美しかったです。
 また、風が吹くとイチョウの葉が大空にひらひらと舞い上がり、太陽の光に輝きとてもきれいでした。
 ちょうど神田の家のメンテナンスに京都から来てくださっていた大工さんも、 とてもいい笑顔で空に舞うイチョウを見ていらっしゃいました。

 美しいものに感動する笑顔って、見ているだけでも幸せになりますね。うふふ。

2009年11月28日土曜日

学問と芸術とグルメ…

庭の落葉もまばらになってまいりました。秋も終りですね。
はい。今日も「八の日」でございます。
前回の八の日に続き、今日もぽかぽか、暖かい日和となりました。
こういういい日は、神田の家もカメラ片手にお散歩にいらっしゃる方も多くいらっしゃいます。
写真って、限られた枠に切り取ることで、はっとする発見があったりしますよね。
さてさて。私おせんは最近、かの大家、梅原猛氏の著書を読んでおります。
たまたま神田は神保町、古本屋さんで芸術新潮なる雑誌の梅原氏の特集を拝読してからファンになってしまったのです。
私はあまり難しいことは分からないので(汗)氏の世界観をいくばくかでも汲み取れないものかとエッセイから読み始めたのですが…
その中で、「写真」には“詩的”であるということと“季節感”という観点から、「俳句」と共通している、とのような文章がありました。

今のように、デジカメや携帯の写メールでパチパチと撮る時代はまだ先の時分に、写真というものは、日本人に向いている!(表現は違ったと思いますが)と書いていらっしゃいました。

なるほど、考えてみると、日本人といえば首からカメラをさげてとにかくパシャパシャとりまくる、というのが一昔前海外で持たれていた(もしかすると今も?)イメージでしたが…
それを千年以上も前の「万葉集」にあらわされるような、句の心につながるとは…!
目からうろこなのでした。
横浜からいらしたお客様から頂戴したお菓子☆
おせんも一句…  天高く 乙女も肥ゆる 秋の楽しみ(字余り!)
神田の家は家屋内は撮影禁止となっておりますが、お庭からは自由にお撮り頂けます。
皆さま、ご自慢のカメラ持参でどうぞお散歩にいらして下さい☆

2009年11月18日水曜日

正真正銘の「小春日和」

冷たい雨の日が続いていましたが…
今日は久々の晴れ間でしたね!



まさに「小春日和」という言葉がぴったりの日差しの中、今回の「八の日」を迎えることができました。





麗らかな日差しに…猫でなくとも日向ぼっこしたくなります!



小春日和というのは晩秋から冬にかけて、陽気の日のことを言うのだそうです。


季語としては冬のものですがここでいう冬は旧暦のこと。


となると現在私たちの使用している太陽暦では10月~12月のことですから、まさに今の季節は最中なわけです!




嬉しさのあまり、澄んだ空に向かって飛び立ちそうな千鳥!



神田の家のカエルたちも何やら家族会議をしているよう。



春眠暁を覚えずとは言いますが…



今回のこのカエルを動かしたのはうちのお茶目なスタッフの仕業ですが…


たまに、誰ともわからないイタズラが発生しているのです。


十五夜のお団子は翌朝2つ減っていたようだし、


今回展示した七五三の千歳飴も、1本足りなくなっていたような…


そう、お菓子ばかり減っているのです。



神田の家には基本的に貴重なものは置いておらず、事務所へ持ち返っています。


なので困るようなことではないのですが…



置いてあるものと言えば、座布団は減ったりなんかしないのに、お菓子は減る…


う~ん…やっぱり、あれですかね。









…座敷童??




なんて言って楽しんでいる奉公人1でした。

生垣にしている植木にもちっちゃな白い花が咲いて、それがとてもいい香りなものだから、

浮かれ気味なのでした。


ウバメカシ?この花の名前が分かる方、教えて下さい~

2009年10月28日水曜日

宮本公園造園中…


台風もあっという間に過ぎ、暖かい日が続いております。

今日は「八」の日。

うららかな日差しに誘われてか、見学者の方ものんびりした様子でいらしています。
私、おせんもうたたねしそうになるのをこらえて店番中…

ただいま、宮本公園全体の改修工事が行われています。
今日は桜の木の幹をさっくり切っています。
公園の計画があるのでしょうが…残念。。


この工事も年内には終わるそう。

傾斜を生かした遊具が置かれ、植栽もきれいに整えられるのだとか。

中央上方に描かれている黒い建物が「神田の家」西側側面
外は工事中でも、柵の内側はいつも通り。

工事なんてどこ吹く風…?

激動の80年を見てきた家としては、お隣さんの工事なんてとるにたらないという風情です。

2009年10月19日月曜日

「出張守り」…探してみたら☆



このたび、奉公人1の想い人がちょっとした出張に旅立つことになりまして…

旅行や交通安全のお守りや、お仕事のうまくいきそうな勝守りはありますよね。

旅の行き帰りの交通安全だけでなく、お仕事だってうまく運んでほしい。

ということで、あくまでも「出張」に効果(御加護)がありそうなものを探してみることに。

すると「出張のお守り」と言ってしまって良さそうな素敵なお守りを、

ここ神田のすぐ西隣に発見しました☆

三崎稲荷神社にある、その名は… 「お砂守り」


三崎稲荷神社は中央・総武線「水道橋」駅の東口から徒歩3分

千代田区三崎町という大変アクセスの良い場所にあるお宮です。



早朝に訪ねて行ったため、まだ社務所が空いていなかったのですが
境内のお花の手入れをしていた女性がとても気持ちよく対応してくださいました。


その方のお話によると、この神社自身は江戸時代よりずーっと前、800年以上も前から 神田山(今で言う駿河台)武蔵国豊島郡三崎村に鎮守神さまとして祀られたそうです。 その後いくつかの地を経て現在の場所に鎮座されたのだとか。


江戸時代には、徳川家康公がここを深く崇拝したそうで、次いで三代将軍家光公が、 参勤交代の制度をつくった折に自ら参拝し、また諸侯らにも尊信をすすめたところ以来、 参勤登城する際や国もとに帰る際、三崎稲荷に参拝し心身を清めたそうです。 そのうち、霊験あらたかと評判になり、海陸の旅行安全を祈願する庶民の信仰も集めたそうです。

参勤交代っていったら、物見遊山にいくのではないですから!

まさに「お勤め」、お江戸時代の長期出張!


なお、三崎稲荷さんに聞いてみたところ、この「お砂守り」は中に砂が入っているそうです。
そもそもは「この地から持っていった砂を、またこの地に持って帰ってこれるように」という なんとも原始的かつロマンチックなお祈りが込めれているお守りじゃあないですか☆
いつの時代も、行く人の安全と待つ人の安心のためのものがあるのは嬉しいものです!


出張のお守り探しに気張っていた奉公人1でしたが、

ぴったりのものを見つけてすっかり満足。

あとはお土産を楽しみに呑気に待つことにしますかね~☆

2009年10月16日金曜日

「船下り」の魅力…

最近、事務所の整理してしていると大正の頃のの「水面利用許可証」が出てきました。
当時はまだ外濠川だったようです。


神田の家が鎌倉河岸にあったころ、この日本橋川にかかった桟橋から荷揚げをしたりと

生活に使用していたそうです。舟が行きかい、活気があったそうな。
今の景色からは想像もできませんが。。


この「日本橋川」、先月頭に“日本橋コンソーシアム”さんの日本橋川下りのお試し企画 に
奉公人1、参加させて頂いたのでした☆

(神田の家の裏方事務所は日本橋川を背に建っているのです)
“日本橋コンソーシアム”さんのお試し企画に乗船させて頂きました。
水面から見たそれぞれの橋…
こちらは「常磐橋」

江戸時代は「盤」は下がお皿で割れやすいから…と「磐」の字を石橋の名前にあてたのだとか。
しかし、関東大震災後にひとつ下流につくられたのは「常盤橋」…  ありゃりゃ 

こちら、言わずと知れた「日本橋」
きりりと上を向いた麒麟様が今にも飛びださん、という風情です。
頭上の高速道路が余計に目につきますね。
浮世絵など沢山の資料とともに一生懸命ガイドして下さいました。
お江戸の「川文化」の豊かな側面が見えてきます。

さてさて、30年以上も前から神田の町おこしに取り組んでいらっしゃる「神田学会」さんが

毎年恒例という「神田川舟下り」イベントを催行されたそう。

http://www.kandagakkai.org/oshirase/oshirase.php?id=000360
皆さん楽しそうです。

わりと早いうちに定員がいっぱいになっていらしたので、かなり人気のイベントのようです。

来年は是非参加させて頂きたいところ☆

2009年9月29日火曜日

十五夜の仕度

神田の家ではそろりそろりと秋支度が進んでおります。

夏の室礼、葦戸やなんかも障子の建具に戻す作業が進んでおります。


そして、本日はというと、お団子がお目見え。

どうしようかと皆で悩んだ結果、本物のお団子を飾ることになったのです。


本当においしそう(というか、本当においしいんですが)


お団子といえば、隣にはウサギさんが定番ですよね。もちろん、神田の家にもちょっと澄ましたウサギ様がおります。ただ、わざと写真掲載しておりません☆

このブログを見た方、ぜひウサギ姫を覗きにいらしてくださいませ~
ちなみに…お月見は中秋の名月の日に行われる行事とのことですが、
今年の中秋は10月3日ということです。この日が、今秋の「真ん中」ということですね。
ただ、中秋が必ずしも満月だとは限らないそうです。(これば奉公人1も初耳)
ちなみに、満月は翌日の10月4日とのことです。念のため…

2009年9月10日木曜日

朝日新聞朝刊ご覧下さい☆将門塚と遠藤家について…



さてさて、本日の朝日新聞朝刊をお読みになった方はいかほどいらっしゃるのでしょう?

私ども「NPO法人神田の家」の理事長のもとへ取材にいらした記者さんの記事が、都内版のページに載ったんです!!

タイトルもズバリ、  「 斬首祭る都会の異次元 」
将門の首塚について紹介する趣旨ですが、歴史や伝説についても軽やかにまとめて下さっています。弊法人の平野の先代が前将門塚保存会の会長を務めており、親子2代にわたって将門塚を大切にしていることを載せて頂きました。
以前からこのブログにたびたに書いているように、私どもは「将門研究家、遠藤達藏の生家」として将門公について今一度広く知らしめたいと考えております。
そういった想いも、この記事を読んで頂御理解いただけるのではないでしょうか。

とてもわかりやすくてチャーミングな記事ですのでこのブログをお読みになった方、是非ご一読を☆



奉公人1が一番好きな将門公の錦絵。この構図!色彩!(この画像じゃ分かりづらいかしら)

2009年9月2日水曜日

月刊「とも」☆将門ページのご紹介~

この度ご紹介する月刊誌『とも』は、

野田、流山、柏、安孫子、松戸、鎌ヶ谷、坂東、守谷、吉川、松伏、春日部…と、

千葉県、埼玉県、茨城県と数県を跨いで配布されているのが特徴です。



このエリアは平安時代、平将門が馬を馳せて活躍していた地域と重なる、私ども将門ファンとしてもちょっと気になる情報誌なのです。
先月で創立30周年を迎えたという長寿フリーペーパーさんであります。

この紙面の中で毎月、ご自身の将門研究の成果を発表していおられる方が山口さん。
数年前の「将門塚例祭」で当事務所とのご縁を頂いた方で、平将門の研究に、日本全国へ取材に飛び回っているのです。
連載は「将門の世界へ」というタイトルです。私ども「神田の家事務所」でも毎月楽しみに購読しています。(以前、神田の家についても記事にしてもらいましたし、京都の将門ゆかりの地も数年前には既に取材済みというツワモノなのです!)

今月号では私共の事務所の千代、「遠藤達藏」と将門塚保存会のことを載せて下さいました。
とっても分かり易い文章でまとめて、神田の家も紹介して下さって…感謝感激です。

神田にも沢山のタウン誌、フリーペーパーが皆さん誇りを持ってご活躍されていますよね。
私たち「神田の家」も楽しい情報や意義のある活動で紙面を盛り上げていけたらと思います!





*  *  * 



将門公つながりでプチ情報…
荒俣宏さん原作の映画『帝都物語』が

8月29日に再販開始されました。発売元の角川映画さんによると「ファンの熱い要望にこたえて…」

とのこと。恐るべし、荒俣先生ファンと将門ファン!



http://www.kadokawa-pictures.co.jp/official/teito_1/



なお、、この映画でなんともインパクト大な悪役・加藤を演じた嶋田久作さん。まだまだ現役でご活躍されていらっしゃるのですが、この方のブログが…
↓ ↓ ↓
http://9saku.blog102.fc2.com/





…かわいすぎますっ

2009年8月28日金曜日

本日も「八の日」

はい、「神田の家」 8月最後の公開日でした~
二十四節季でいうところの「処暑」もすぎ、神田の家では戸をあけると
気持のいい風が抜けてゆくのでご案内するのもさわやかです。

今日はバッタちゃんを放してみました。 (竹細工のコです)

さて、奉公人1はここ最近公開日以外も神田の家にちらりほらり居るのですが
なかなか楽しい人が立ち寄って下さいます。

神田で生まれて育った80歳のおじいちゃん。昭和4年の生まれとのことですがまだまだ足取りもお話もしゃきっと元気。
「お譲ちゃん、いい仕事だよ、頑張れよっ!」 と励まして下さいました。

また、折り紙で蛙を折ってくれたおばちゃま。
指のリハビリも兼ねて折り紙をして、それを電車などで隣り合った子供にあげたりしているんだとか。奉公人1もすっかり忘れていた蛙の折り方教わりました。
「今日は蛙を作りながら来て、ここ(神田の家)のお庭で蛙が沢山いるものだからなんだか不思議なご縁に思えるわ」 …また来てくださるそうです!

他にも、2年ほどまえにこの周辺に土地(建物?)を購入して移転してきた会社の方もぶらりと見学にいらしてくださいました。「(お宮の近くで)縁起がいいという話になって…」とのこと。
そりゃきっとそうですよ!そう思える人にはきっと花丸印に縁起がいいはず!?
賃貸でないってことは、何かない限りはここがホーム。
神田の町や歴史やお宮やなんかを好きになったらきっと働く人たちの楽しみも増えることでしょうし!
(ということでお祭りで町会のお神輿担ぐよう強めにお勧めしてみました)

*  *  *

神田の家はこの先ずっと、ここ(宮本公園)にあるわけです。

ここにいらした方が、何かしら清々しい気持ちでお帰りになれるような対応を目指しております。

スタッフの間では「いらした時はなんとなくつっけんどんな感じな方でも、ご案内した後お帰りになる時にはすっかり笑顔になっている方が多いよね」という話になったりも。


「木と土と草でできたお家が、人にいい作用以外与えるわけがない!」


…ということは、なにか不快なことがあったとしたら、そこで働く私たちの対応が原因ですものね。


…。はい、心してお勤めいたします~(汗

2009年8月19日水曜日

神田の昔話  

昨日は「 八 」の日、神田の家公開日でした。 (映画のHATHIとはとくに関係もなく)

さて、神田の家にいらっしゃる方との世間話も我らスタッフの楽しみの一つ。

以下、東神田のほう出身の80代のおばあさまより↓



・戦前は町をあげて一斉に畳の虫干しをしていた!

 5月の、梅雨前。各家庭の畳が出され、路地などに所狭しと並べ、なかなか壮観だったそうな。
 お屋敷然とした家から長屋まで…老いも若きもみんなそろって助け合い…そんな風物詩もあったそうな。


・昔流行った早口(?)言葉

 「神田鍛冶町の角の乾物屋で買った勝栗硬くて噛めない返して帰ろっ」

 …本当に神田鍛冶町にこの乾物屋があったかどうかはさておき…

 ちなみに、勝栗とは干した栗のことなのだとか。縁起ものであることと昔から兵糧として重宝されていたことから戦時中は出兵するわが子に持たせるために買い求める母親の姿が神田でもたびたび見かけられたそうです。

2009年7月22日水曜日

奉公人1のぬけ参り(後編)  ~夫婦岩と五十鈴塾、内宮参拝~


二見浦の宿坊で一夜明け、一行は夫婦岩へ。


昔の人はここで禊をしてからお参りに行ったとされているところです。




天候に恵まれた日は、二つの岩の間に中央に富士山が望めるそうな!



興玉神社でお参りし、夫婦岩を見物した後そこからバスで一路、内宮方面へ。

内宮の参道前の「おはらい町」で是非立ち寄りたいと思っていた場所があったので訪ねてみることに。

鈴の鏝絵がかわいらしい日本家屋…
「五十鈴塾」というNPO法人さんで、文化交流の場として和風家屋を提供している処なのです!

「神田の家」がまだ移築工事をしている頃から、私たちの先をゆく活動をされている団体として興味津々でHP等拝見していたのでした。 →http://www.isuzujuku.org/
塾長さんはもともと伊勢神宮の神主さんだったということ。何となく少し緊張しながらお話したのですが…

…なんと、お話の中で塾長の矢野さんは伊勢神宮でご奉仕される前、神田明神にいらしたということが判明!三重という遠い地で、なれ親しんだお宮の名前を聞くなんて、思いがけないご縁に嬉しさもひとしおでした。
矢野塾長のご好意で、特別に建物の2棟ご案内して頂くことに。
町の方や有志の方たちとの協働で運営しているとのことで、左王舎のきれいなお庭もボランティアさんたちと力を合わせて作ったのだそう。

きれいに管理されています。神田の家もお掃除頑張ろう。



神田の家と規模も運営も違うけれど、やはり土地に合わせた活動をしてゆくのが一番求められるお役目だろうな…と再認識。

神田の家のテーマはさしずめ、江戸、東京、商家と…将門公!でしょうか。

将門公と言えば、伊勢の地方では門前に「蘇民将来子孫之門也」と書かれた木札が一年中かけられているそうです。これを略して「将門」にしたところ、平の将門公と混同する、と騒ぎになり「笑門」という言葉が生まれたという説が!(矢野塾長御墨付き)こんなところでも将門公の名前を聞くなんて!となんとなくまた嬉い奉公人1。

さて、伊勢参りのクライマックス、「内宮さん」は人がいっぱい!

皇大神宮とも呼ばれる、皇室の先祖神「天照大御神」の鎮座するお社です。「日本の総鎮守の神様」と言われている神社のもとじめなんですね。 猛暑の中、老いも若きもギャルも外人さんも…とにかく人出にあふれかえっていました。
古事記でおなじみの神様なので、なんとなく石ノ森章太郎の「マンガ日本の歴史」のイラストのアマテラスオオミカミ様が浮かんできて親近感を覚えてしまいます。あんまり難しいことはわからないけれども、こんなに美しい神社が長きにわたって脈々と受け継がれ、守られていることに感動してしまいました。日頃、文化財の保存のお仕事をしているだけに。

さて、小学校の修学旅行で伊勢参りデビューをした、という名古屋の友人よりもフランス少女の方がよく神道の知識を身につけていることが判明。
奉公人1、こっそりと「巫女さん研修うけさせてもらってよかった。。」と胸をなでおろすのでした。

内宮の表玄関に架かかる「五十鈴橋」のほとりには、はかの松下幸之助氏が奉納したというお茶室があります。このお茶室、神田の家の移築工事をしてくださった「中村外二工務店」施工なのです。

今回のお伊勢参りはこのお茶室を見るのも楽しみにしていたのですが…参道からはほとんど見えませんでした。なんたって天皇家の方々の迎賓館だそうで!もんぺ姿のおばさまがせっせとお掃除している様子を生い茂る木の間に垣間見ることができました。

神田明神の随神門も、浅草の雷門も同氏からの奉納ですよね。信仰の篤い方によって文化が守られていたりするんですね。(松下政経塾もあるし…世が世なら吉田松陰のように神様として祀られてたのかしら…経営の神様ってゆうし。)


帰りにはまだ時間があったので、五十鈴川沿いをお散歩。



千年前の人もこの川のほとりを歩いてたんでしょうか。悠久のロマン!だわ…



なんとなく名残惜しく…名古屋の友人と再来の約束をして伊勢を後にしたのでした。




私:  「また来ようね」


友人: 「うん」




二人: 「次は  お伊勢さん健康マラソンで  …!!」



… 完 …


秋のお伊勢さん健康マラソンエントリーご希望の方はコチラから ↓ 
http://www.city.ise.mie.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1212994398859&SiteID=0


☆外宮、内宮の美しーい景色は、実際に現地にいらして堪能して頂こうと掲載自主規制してみました。興味のある方は是非!!行ってらしてください。

奉公人1のぬけ参り(前編) ~外宮とフランス少女~


江戸時代、「一生に一度はお伊勢参りを」と大流行したお伊勢参り。
道すがらのお店や個人の施行により、手持ちのお金がたとえわずかであってもお参りできたことから「おかげ参り」とも呼ぶそうですが、家族やお店の人にも内緒でお伊勢参りにいくことをとくに「ぬけ参り」と呼んだそうです。

…ということで、奉公人1は10日の京都の首塚のお祓い出張の帰りにこっそり「ぬけ参り」としゃれこみました!

「旅は道連れ世は情け」 という言葉がありますが… 初日は京都のお宿で出会ったかわいいフランス人の女の子と連れだって11日の午後に伊勢市入りすることに。

まずはさっそく「外宮(げくう)」さんへお参り。

日差しも柔らかいお参り日和。二人は自然と言葉少なに境内へ。

「外宮さん」(近隣の方たちは“さん”付けで呼ぶそうです)は衣食住を司る神様、「豊受大御神」さまを祀りしているお宮です。

御正殿の門の入口には白い幕がかけられていて、奥のお社は見れません。社新撮影も禁止です。この「秘密のベール」越しに、日頃の感謝をお伝えしました…食事の神様…むしろ万年ダイエッタ―を自称する自分を改めて恥じる瞬間でもありました。


緑のグラデーション。花は見かけないけれど、「風薫る」という風情の景色の中、 日本最古の建築様式と言われる「唯一神明造り」のお社が静かに鎮座しておられました…
行く足の先に落葉がはらりと落ち、 フランス少女の「これは神さまからのメッセージかな」 …なんて、かわいい発言に癒されつつ…
日本語勉強中の彼女は、とっても詳しく神道のことを知っていました。
建築様式のことも学んおり、外宮さん千木(屋根の飾り)を見て


「コレハ男ノ神様デショ!」と一言。


…と、なにやら思い出したかのような複雑な表情に。

「アマテラスハ女ノ神様ノハズナノニ…」 


…どうやら彼女は去年もお伊勢参りに来ていながら、外宮さんしか知らず、内宮を参らずに伊勢を後にしてしまっていたそう。なので今回は一年越しで内宮参拝。 友達が出産をひかえているので安産のお願いをするんだ!とのこと。
うんうん。国籍、人種違えども、お願いすることは一緒よね。


夜には名古屋の友人と合流。


翌日は二見浦で夫婦岩を拝んだ後(一同未婚)いよいよ天照大神の祀られる内宮さんへ、イザ!

 …続く…




神明造」のお社といえば、神田明神の末社の末廣稲荷神社と三宿・金刀比羅神社もこの造りですね。
個人的には末広稲荷のぷっくら感が大好きです…!必見!!

(お詫びと訂正:なお、唯一神明造りは神宮のみの作りなのだそうです!当初、上記2社の説明も唯一神明造りと紹介してしまいました~失礼しました!)

2009年7月14日火曜日

京都の首塚

京都の四条通りと綾小路通りを結ぶ、小さな路地を南に入ったところにある「新釜座町」
ここは、平安時代に平将門の首が晒された場所で、後に空也上人が供養のために道場をひらいたとされています。
空也上人は印として石を建て、それをご神体としたといわれています(村上春樹著 『平将門伝説』 より)
現在は、民家の壁に塗りこめられたように祠が残されています ↓


祠を内包している家屋の管理者が変わる、ということで、神田明神の神主さん2名と、関係者や町の方たちの数人でこのたび神事が行われました。

平安時代には朝廷にはむかったために「逆賊」と呼ばれ、江戸時代は徳川幕府により江戸の鎮守神となり、そして大政奉還の後は天皇に逆らった「国賊」として排除された平将門。
「民衆のために立ち上がった英雄」としての評価もある関東とは異なり、京都では実に長きにわたって誰もが口を閉ざし、タブーとされてきた人物だったようです。
ただ、そんな土地にあっても、その人物をまつったとされる祠が遺されているのが人心と歴史の面白さ。


戦国時代に、神田明神がこの祠をお祀りした、という記録は残っているそうです。
さすがに当時のものではないのでしょうけれど、去年この祠をあけた際には神主さんに「神田明神のこんなに古いお札は見たことがない」と言わしめたお札が入っていました。
(その古いお札は今回お宮にお渡しすることになり、現在は昨年の祭祀の際に収めた新しいお札しか入っておりません)

無事に祠の祭祀を終え、家屋の本体の方でもお祓いが行われました。(どちらが付属か、もはやわかりません)

家主不在でただ沈黙していたこの祠ですが…

将門公に失礼のないような祀り方がされることを祈っております。

さて、ご神体とされていた石はどれなのか??私たちの研究は続きます。

空也上人が京都でひらいた道場についての資料や情報お持ちの方、是非教えてください~。


2009年7月2日木曜日

神田鎌倉町







梅雨の天気図通り傘マークが並ぶ6月下旬、鎌倉町の皆様が「神田の家」に来て下さいました。    夜中降っていた雨も朝には上がり、(日頃の行いのお陰) 皆さんの来訪で明るく活気のある日曜日になりました。
鎌倉町と言えば元々この神田の家(遠藤家)があった場所。

当時の姿をご存じの方も多く、家は勿論の事、2階に置いてある古いアルバムを見ては昔を懐かしんで思い出話に花が咲きました。


今は手軽にデジカメで多くの物を撮り、CDにして記録する事は出来ますが、カメラ、 それも白黒の時代の写真は何とも言えぬ味わいと深みを感じます。
色がない分、自分の記憶の中で様々な事を思い出しながら、自分なりの色をつけて見るからでしょうかね、。

勿論、私の幼少の時も白黒でした・・。  しかもサイズが小さい。

古き良き時代、、  この神田の家は昭和と言うより江戸の流れが詰まってずっと 時代と共に生きて来ている、。  そしてこれからも生き続ける。 


写真ではなく、そのもの自体が今もある事に改めて感謝ですね。

神田鎌倉町の家、皆さんと一緒に大事に育てて行きたいと願っています。


2009年6月23日火曜日

日本の夏! 今年一番の暑さですって…





























竣工式の後に神田祭へおおわらわで時間が過ぎておりましたが…
ここにきて、ようやく本来の落ち着きを取り戻してまいりました。
「神田の家」HPでもご連絡しておりますが毎月「八」の付く日を内部見学日としております。

有料なだけあって(?)やはり神田ないしは木造家屋に深い興味をもっている方の参加が目立ちます。
ご案内後に座談会のような雰囲気になることがあり、それが楽しくて奉公人1は内覧日が楽しみでなりません。木造のお家の、神田の、将門公のファンをじわじわと増やしてまいりたい!と思います。

現在は夏の室礼で2階に「御簾」がかかっていて、なんともいえない高雅な雰囲気。
見た目の涼しさを大切にしていた日本の知恵ですね。暑いですけどね!(←現代っ子)

まだ見学にいらしていない方、是非ご予約の上お越し下さい~☆

2009年6月3日水曜日

神田祭のはなやかに (端唄)

  
  神田祭のはなやかに
  まずは明神さまの氏子中
  お神輿ワッショイ ゝ ゝ ゝ
  派手な伊達模様
  半纏じゃ 花笠じゃ
  芸者 手古舞 揃うてかな棒引く


奉公人1は両国で三味線を習っているのです。
先月のお祭りの興奮をお師匠さんに話していると
次の会で唄うことになっていた曲の歌詞違いで表題の
曲を教えて頂き、追加で発表することに。
情景がうまく伝わるように唄えるといいのですが…!

2009年5月18日月曜日

神田祭り’09













お祭り、終わってしまいましたね。



神田祭り、こちら「神田の家」でも盛り上がっておりました。

神田の家では、山車の錦絵を貼った屏風や土鈴、絵馬を土間に展示しておりました。

宮本公園内では太鼓のイベントがあり、大勢さんがいらしていたので客足は途絶えず…


また、宮入の日には将門塚保存会の御神輿と、この家の故郷である神田鎌倉町から、御神輿も来てくれました。

(将門神輿の復活は将門塚保存会会長であった先代の生前最後の大仕事でした。デザインを一から考案した思い出の御神輿です)


どちらの宮出し後の女神輿でやってきたのですが姐さんたち、かっこよかったのなんのって…!

奉公人1も町会の方のご好意で鎌倉町の御神輿を担がせて頂き、わくわくしっぱなしでした。


御神輿って、振ることで厄を落とすんだそうですね。

いい汗かいたし、いろんな意味でデトックスなのだわ(女子的発想)


老いも若きも男も女も、問答無用でとにかくみんな出てきて担いで…

なんとも分かりやすくて、御神輿って気持ちいい~


はやく再来年にならないかなぁ…(遠)





余談ですが、子供神輿のこと「こみこし」って言ったりするんですね。



かわいすぎる…

2009年5月1日金曜日

端午の節句



風薫る五月となりました。もうすぐ端午の節句。「神田の家」でも床の間に五月飾りが飾り付けられました。
90年ほど前に作られたこの五月飾りは、一般的な五月人形(たとえば兜とか鍾馗さま)ではなく、ミニチュアの鎧兜のほかに、幟や弓、鯉のぼりなどがひとそろいになった立派なものです(飾り付けには苦心しましたが……)。先代の遠藤達蔵が、自分の生まれた年(大正8年[1919])に作られたこの五月飾りをとても気に入り、買い求めたのだそうです。
ちまきや柏餅まで本物そっくりに作られていて、つい見入ってしまいます。
子どもの健やかな成長を祈る気持ちは今も昔も変わらないですね。

2009年4月19日日曜日

一部公開つれづれ

15日より、お庭から土間までを公開致しております。

建物内部の公開については、ご案内するスタッフの確保などの都合により現在はまだ公開方法を試行錯誤中。

決まりしだい、神田の家のトップページおよびこちらのブログでご案内させていただきますので定期的にチェックしていただけると嬉しいです!


(リーフレット代として100円いただいておりますが、これは神田の家の維持・修繕費として積み立てているものです。ご理解、ご協力のほどお願い申し上げます…)

「ずっと、出来上がったら中に入りたいと思ってた!」と言ってきてくれたS平小学校の女の子、
ここの左官作業をお願いした左官屋さんのところの職人さん…
またこの家がまだ鎌倉河岸にある頃、縁側に座ってくつろいだ思い出があるという達者な頭まで。
色んな方にお越しいただいて本当にうれしい限りです。
スケッチしてくださった方も。今日明日中に個人のHPにアップしてくださいました。
江戸のスケッチ14の861番…
http://homepage2.nifty.com/goroukou/


少しずつ、確実に。神田の歴史や木造家屋の魅力を伝えてまいりたいと思います。

まだまだはじまったばかりの活動のため、不手際があるやもしれません。
お気づきの点などございましたら是非ご指摘くださいませ~。

2009年4月15日水曜日

神田の家、竣工式~! おめーでーたや~






このたび、4月13日をもって神田の家、めでたく竣工とあいなりました。

頭たちの木遣りを皮切りに、もともと家が建っていたご縁により鎌倉町の面々の先導で参進。そのまま、神事の室礼が施された神田の家へ。

木造のおうちに、神事の道具たちがとっても美しく映えていました。
うららかな陽気に誘われて…お庭には1羽の揚羽蝶まで舞いこんで、
まるで祝福してくれているかの様子。

尾上菊五郎丈による奉納演舞、素踊りの「七福神」も艶やかに執り行われました。心地よい緊張感と、目にも耳にも美しいひとときでした。


日本文化の素晴らしさを後世に伝えてゆきたい、という先代の想いが形となった神田の家。
木遣りに神事に美しい演舞…神田の家の、まさにおあつらえの門出と言えましょう~。


お天気に恵まれ、また、予想以上に多くの方にお祝いに来ていただいて
スタッフ一同、感謝感謝の一念でおります。

ご参列頂いた皆様、これからも何卒よろしくお願い申し上げます。



なお、15日から一部公開が始まります。
木造家屋、神田の歴史等にご興味のある方がたには、遠藤家に遊びに来るような気持ちで見学に来ていただけると嬉しいです!


竣工式を無事に終えることができたので…奉公人1は明神様にお礼参りに行ってきます。
目と鼻の先、というほど近いのでありがた~い!

2009年4月3日金曜日

お花見日和




宮本公園も、桜がきれいに咲いています。
夕方にはお花見客もいっぱいで、お鍋がぐつぐつ、美味しそうな
グループも… (神田の家はガスが通っていないのでうらやましい…)

季節を愛でるのって、なんとも素敵な風習ですね。
しかも会社をあげて(!)お花を楽しむなんて、考えてみたら
素敵すぎる~。会社公認バーベキューみたいなものだわ!


さて、神田の家は竣工式と公開の準備中です。
13日に竣工式を行い、15日からお庭を公開してゆく
予定でおります。

「家」ならではの、室礼や公開の方法を模索してまいります。

2009年3月12日木曜日

心の故郷 神田

父祖よりの 鎌倉河岸や 風薫る

神田祭り 過ぎし良き日の 佳き宴


2009年3月3日火曜日

今日はうれしい雛祭り~♪




3月3日、桃の節句。  先日一日がかりでお雛様を飾りました。

何と立派なお雛様、、  そしてとっても綺麗です。


一つ一つ丁寧に仕舞われていたお雛様も、一年に一度のお披露目を

待っているかのように、その表情は穏やかで、思わず声をかけながら

飾らせてただきました。


仕舞うのが勿体ない・・・。

また来年、逢えるまで待っててね、。 段の前に座り、時間を忘れて暫し

眺める私でした。

2009年2月26日木曜日

職人さんの手もと拝見…



昨年の夏に工事がはじまり、毎日のように工事を見学させてもらっている奉公人1。
職人さんの手もとを見ていていつも感心することばかり。

以前、大工さんから聞いたお話の中で
「一見、作業は同じ動作の繰り返しで単調に見えるかもしれないけれど、 “加減”が難しいんです」
とおっしゃっていたのが、なるほど、と印象的でした。

それは、左官屋さんのコテ塗りの作業も、お庭やさんの植物の扱いだって、全部に言えることなんだなぁと、昨日、スギゴケを植えているお庭やさんに手もとを眺めていて、改めて感じました。
もう、ずーっと眺めていられるような気がします。(奉公人1はややマニアックなのです)

苔を少量ずつ土に植え、バランスを見ながら、その上のヒサカキをちょんちょんと切って整えていきます。
必要な個所をうっかり切ってしまったりしたら大変!と見ているだけのこちらが勝手にハラハラ。
そんなことはもちろん構わず職人さんはスピーディに、適格に、作業されています。

作業が続き、ヒサカキも苔も、更にいきいきとしてゆきます。

「生け花」のような緊張感と美しさ。

お庭の中でも、お茶室から見える部分はベテランの職人さんが担当されているようです。若い職人さんは後ろで砂利を運んでいました。知識や技とともにこういう“姿”も継承されていくのだと思うと、職人さんの世界ってこれまたドラマだわ。

2009年2月19日木曜日

ライトアップ ↑


神田の家の完成が近付いてまいりました。
今回は照明デザイナーさんにお越し頂き、オープン後の
ライトアップのため、照明実験が行われることに。


デザイナーさんいわく、

「石でできた西洋のお城やなんかとは違って、
日本の家屋は内からこぼれるあかりがあったほうが
より魅力が引き出るんだよ」
家の中の灯りも表から見たときの要素になるのですね。

なるほど、障子紙の柔らかなひかりや格子の美しさがなんとも
いえない陰影をつくり出しています。

お庭の植木も照らしたりして、しだれ桜の影がきれいに落ちる
ような、しっとりしたライティングになりそうです。

2009年2月14日土曜日

平将門公法要☆柴崎道場日輪寺

2月14日といえば…?


「バレンタイン!」と答えた方、甘いですね~


このブログを読んでしまった方には、今後からは是非!

「平将門公の命日!」と答えてしまう、ビターな人になってほしいところ。


2月14日、神田の家のスタッフ2名は浅草、日輪寺へ。
毎年行われているという、将門公の法要を見学させて頂きました。
鎌倉時代末期に柴崎村(現大手町将門塚付近)で疫病が流行った際、遊行中であった時宗の真教上人が首塚を修復し供養して治めたとのこと。
日輪寺は当時村内にあり、真教上人が念仏道場として中興開山することに。以来信仰の場として今日まで続いているのだそうです。

神田の家のスタッフブログで将門公…?と不思議に思うかたもいらっしゃるかもしれません。
神田の家と将門公の関係は、ただたまたま将門公をお祀りする神田明神の隣に建ったというんじゃあありません。神田の家は、神田明神の氏子責任総代まで務めあげ、また将門研究家として生涯をかけた先代・遠藤達藏の生家。神田明神で販売されている『神田明神史考』を執筆した人です。そのため、研究のために集めた資料も多く残されています。 普段は神田の家に置いてはいませんが、ゆくゆくは、展示などで公開してゆく予定です。
オープン後は展示の情報などをHPにアップしてまいります。
将門ファンの方、是非チェックしてみてください☆

ちなみに、法要ではお坊さんがお経を唱えながら何やら投げているのに、あまり仏事に縁のなかった奉公人1はびっくり。 (“散華”というのだそうですね)
そして「誉れ高き将門公~」で始まる頭たちの木遣の勇ましさにすっかりしびれてしまいました。神田の家のBGMにはやはり、木遣りが必要だ!という思いを深めた一日でした。